〇聖書個所 マルコによる福音書 11章15~19節

それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。

 

〇宣教「神の宮はすべての人の祈りの家」

今日はキリスト教の暦では「棕櫚の主日」であり、イエス・キリストが十字架に架けられた「受難週」の最初の日です。私たちは今日その受難週の初めの出来事を改めて自分の出来事として受け取るためにこの聖書個所を共に読んでまいりましょう。

エルサレムに入城されたイエス・キリストは「ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があるように。」(今こそ、われらを助けたまえ)」と棕櫚(なつめやし)の枝をもって歓呼されましたが、その5日後に十字架に架けられて殺されました。民衆の人気の高かったイエスさまを捕えようとした祭司長、ファリサイ派、律法学者は、民衆の目を恐れていたので真夜中に秘密裏に捕らえ、偽証に満ちた裁判を行い有罪としたのです。なぜそこまでイエスさまは彼らに妬まれたのか。その直接的なきっかけになったのが、今日の「エルサレムの神殿体制」への批判であり、「宮清め」と呼ばれる出来事でした。何故イエスさまは神殿体制を批判したのか。神殿では何が行われていたのか。またその批判に込められたイエスさまの思いは一体なんだったのかということを考えたいと思います。

聖書の箇所に入る前に、文脈を確認しておきたいと思います。私は実はイエスさまがエルサレムに入られた直後、その足でエルサレム神殿に来たと思っておりました。現にマタイ福音書、ルカ福音書ではそのように書かれています。しかしマルコ福音書は少し異なっています。11節にこう書かれているからです。「こうしてイエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、12人を連れてベタニアに出て行かれた。」このようにマルコではイエスさまは神殿の下調べをしてベタニア村に行っています。そして翌朝再びエルサレムにやってきたときに行われたのが今日の「宮清め」であったのです。

この箇所は聖書の中では珍しくイエスさまが暴力的な行為を働いていると思われる箇所です。ヨハネ福音書では縄で鞭を作り、彼らを追い出したとさえ書かれています。砕けた表現で言うならば、イエスさまがキレてしまっているように感じるわけです。マタイとルカの文脈では、初めてエルサレム神殿に来た時のことですから、そこで行われていたありさまにイエスさまが感情的になり、このようなことをしたように思えるのですが、マルコの場合は感情的に起こしたことではなく、むしろ前日の下調べで一目見ているのでこれは確信的で計画的なことであったと思います。それではイエスさまは何を意図して、宮清めを行ったのでしょうか。

イエスさまの言葉に着目します。「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」だからイエスさまは神殿から彼らを追い出したと言うのです。それでは神殿で両替や商売をすることが強盗と呼ばれるほどのものだったのでしょうか。確かに神殿は宗教施設ですから、商売よりも祈りが優先されるべきだと思います。しかし、両替や商売があるから祈りの家ではなくなっているとは直接的には言えないと思うのです。むしろ当時は、神殿を礼拝するために、商売や両替が行われていたと考えられるからです。

実はここで行われていた両替とは、方々の町に住む人々が年に数回エルサレムの神殿に来るときに、自分たちの町で使っている様々な貨幣を神殿に納める貨幣に両替するために行われていました。そして鳩を売る商売も、神殿で犠牲を捧げるための動物売買でした。動物犠牲と言うと血なまぐさい話ですが、自分の罪を贖うため、或いは神への感謝の献げものでありました。ですから、これは人々が神殿礼拝を行うためのサービスの一環であったと言えるのです。神殿参拝者は遠路はるばるやってくるわけですが、動物を地元から連れて来るよりも神殿の近くで購入する方が便利なわけです。もちろん最初は自分たちの町から犠牲を携えてきていたことでしょう。しかし、それには負担がかかる。だから、こういうサービスが誕生したのです。ですから、これは、言い換えればすべての国の人がエルサレム神殿で礼拝するための配慮であったとも言えるのです。

ところが、イエスさまはそれを強盗と呼んでいるのです。もちろんお金をちょろまかしていたとしたら言語道断です。また手数料を高額に設定していたということはあったかもしれません。でも、それが強盗という表現になるなんてただごとではありません。強盗と言えば、良きサマリア人の譬え(ルカ10章)にも出てくる「追いはぎ」と同じ言葉であって、暴力的な行為も含まれていて、金銭を強奪しているかのような印象であるからです。そうであれば神殿は誰から何を強盗していたのでしょうか。

私は恐らく、イエスさまは神殿体制が人々から神信仰を奪い、神から祈りたいと願う人々を奪っていたのだと考えていたのではないかと感じています。神殿が人目につくように商売をすることで、人々から誠実な祈りの心や祈りの場を奪っていた。そして神の御心はそのようなものなのだと勘違いさせるようにしていたということです。イエスさまが憤られたように振舞われたのは、そのような神殿の在り様に悲しまれたからだと思うのです。

そのように考える具体的な証拠があります。先ほど申し上げましたが、イエスさま一行はエルサレムにやってきた日にベタニア村に泊まり、そこから出かけてきましたが12節には気になることが書いてあります。「翌日、一行がベタニアを出る時、イエスは空腹を覚えられた。」ベタニアというのは、「貧しき者の家」という意味があり、宗教的にも経済的にも中心地であったエルサレムからするとスラムのような貧民街でした。その町にはラザロやマルタというイエスさまの友人がいたのでそこに宿泊されたのだと思いますが、実はベタニアとエルサレムは3キロくらいしか離れていません。もっと遠い場所だとしたら道中で空腹を覚えることもあったと思いますが、たった三キロです。歩いて1時間もかかりません。何故イエスさまは空腹だったのでしょうか。朝ごはんを食べて出発されなかったのでしょうか。それとも何も食べる物がなかったのでしょうか。

もしかして、このときのイエスさまの心にあった思いとは、前日に見たエルサレムの華やかで活気のある暮らしぶり、あるいはそれを支える神殿礼拝に比べて、困窮するベタニアの人々の現実に打ちのめされていたのではないかと思うのです。ですから一体神殿は何をしているのか。本来ならその人たちを助けるのが神殿ではないかと思ったのではないでしょうか。私はそのような思いが、イエスさまが再び神殿にやってきたときに、この一連の行動となって現れたのではないかと思うのです。

神殿の現実の姿と、神殿の本来のあるべき姿がちがってしまっていた。神殿とは祈りの家でありながら、本当に祈りを必要とする人たちが入れない場所になってしまっていた。またそこに集う人たちは、自分の罪の贖いのために動物犠牲は捧げるけれど、隣人に対してはまったく犠牲を献げることがない始末であった。果たしてそれは本当に神が求める礼拝なのでしょうか。本来であれば、神殿はそのような人々の支えとなる場所であるはずなのに、そうはなっていなかったどころかその人々が排除されてしまっていたことに対してイエスさまは嘆いたのではないかと思うのです。ですからイエスさまのこの珍しい激情的な行動は、言い換えればそのような人々への愛の故であったと言えるでしょう。そしてそれは群衆にとっては非常に驚きを持って迎えられたようです。もしかして人々も神殿での礼拝に対してうすうす何かがおかしいと感じていたものの何も言い出せずにいたのでしょう。

しかし祭司長や律法学者たちを始め、神殿の体制に依存していた人たちにとっては、それは不都合なことでありました。ですから彼らはそれを聞いてイエスさまの殺害を考えたのです。体制を変えたくない人は変化を恐れ、不都合な意見を黙殺し、邪魔者を抹殺します。しかしそれは神の御心ではありません。神なき礼拝でしかありません。神の御心とは、イエスさまがされたように神の御心を求めて新しく変えられていくことであるからです。それが本当に神の御心を求めて行っていく礼拝であるのです。確かにイエス・キリストはその後、十字架で処刑されました。それは暴力による殺害でした。しかしその三日後に神が彼を復活させられたのは、そのイエス・キリストの歩みにこそ私たちの希望があり、それこそ神が願っていることだという証拠であります。私たちは、今日このことを確認したいのです。

イエスさまが神殿に思っていたことは、本当の意味ですべての人が祈りを捧げることができる場所になることです。それはお金が無くても犠牲が献げられなくてもどんな人でも気兼ねなく入ることができる場所であり、そして助け合い支え合う場になるということ。そしてそれは固定化するのではなく、出会いの中で変えられていく交わりであることを神は願っているのだと言っているのだと思うのです。
実はこの「強盗」という言葉は、エレミヤ書7:11にも使われています。関連がありますので、少し長いですが前後の文を引用して読みます。

「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。」

神殿は言葉や場所ではなく関係であり内実です。ですから私たち自身もこの言葉から問われなければなりません。私たちは礼拝を献げていますが、その礼拝に心を伴っているでしょうか。礼拝に来ているけれど、心ここにあらずということはないでしょうか。他のことを考えたり、神の教えよりも他の教えを大切にしたりしているということはないでしょうか。礼拝する時に一番大切なことは、私は自分自身を神の前に置くということだと考えています。そして礼拝とは、本来的には私たちが受けるものではなく、私たちが神に献げるものであります。私たちが神に献げるものとはお金や私たちの身代わりや犠牲になる他のものではなく、私たち自身であります。私たちが自分自身を神に差し出すからこそ、私たちはこの礼拝に働く聖霊の導きによって新しくされていくのです。恐らくその思いが無ければ、本当の神礼拝にはなっていかないのではないかと思います。

神を礼拝する。それは具体的には聖書から言葉を頂き、或いは祈りの中での対話を通して、自分の歩みを顧み、或いは立ち返りを得て、新しくされていくということです。それは神の御心はなにかを考えることであり、それを求めることでもあります。そしてそれを行なっていくことです。

ですからパウロはローマの信徒への手紙(12:1-2)の中でこのように勧めています。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」

礼拝はこれこれこういうものだというものではありません。むしろ、神との関係の中で日々生かされていくこと。これが私たちの礼拝です。それはつまり神に御心を追い求めて生きていくことであります。

「すべての国の人の祈りの家」これはとても大きな言葉です。しかしこれは私たちが目指していくものであります。特定の人たちの教会ではいけません。何故ならばこの教会はイエス・キリストの教会であるからです。開かれていくこと。そして問われていくこと。変えられていくこと。そこから始まっていくこと。これが神の国であるとイエスさまは語っておられるのではないかと思います。

イエスさまは自分の命の限りまで人々を愛し抜かれました。いま、私たちはその愛によって生かされている者たちです。イエスさまの愛に心を寄せ、私たちも今週新たに歩みだしてまいりましょう。