〇聖書個所 マタイによる福音書 11章20~30節

それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

〇宣教「奇跡を見ても信じない町々へ」

今日はイエス・キリストがエルサレムに入られた棕櫚の主日。受難週の始まりの日です。私たちは毎年この日を守りますが、今日、この出来事を一過性の記念日として守ってはなりません。またこの日を、イエス・キリストの十字架による贖いと復活にばかり焦点を当てて、「イエスさまありがとうございます」で終わらせてもいけません。むしろイエス・キリストが神の言葉としてこの世に来たのに、それを受け入れようとせず、今日も救ってくださいと祈りながらイエスさまを今日も無感覚に十字架に即けてしまっている自分自身がいることを悔い改めたいと思うのです。今日の聖書個所に入る前に、「棕櫚の主日」について、今私が思い浮かべている情景をお話しします。

イエスさまがエルサレムにやってきた時期はちょうど地方に住む人々がエルサレム神殿をお参りする時でした。普段は会えない友人と久しぶりに出会い交わりを深めることがあったでしょう。例えば近況を分かち合い、嬉しいことや困っていることなどを話しながらぶどう酒を酌み交わす姿が想像できます。わたしも年に数回、神学生時代を一緒に過ごした仲間と共に交わる機会がありますが、長期間会えなくても変わらない交わりがあります。詩編133に「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み。なんという喜び。」とありますが、こうしたことは、2000年前も今も変わりません。

話は昔の思い出話から共通する関心事などに及びます。イスラエルの人々の最大の関心事は、「メシアはいつ来るか」でした。そんな中で、多くの働きをしていたイエスさまの噂は、ガリラヤの地方の人だけではなく、人づてに広まっていたのです。この日、イエス・キリストはろばの子に乗るという伝統的な預言者のスタイルで神の都エルサレムに入られました。これは神の言葉の到来・成就です。人々は棕櫚(なつめやし)の葉を道に敷いて、「ダビデの子にホサナ」と歓迎しました。

「ホサナ」とは非常に切迫した救いを求める言葉「今こそわれらを救い給え」という意味があります。彼らは何から救われたかったのでしょうか。ローマ帝国の支配からでしょうか。独立を求める人々はそうであったかもしれません。でも多くの人々は、そんな大きなことよりも自分たちの日常生活に関わる小さなことで助けを求めていたのではないでしょうか。色々な状況があったことは考えられますが、私はそれが彼ら自身を縛り苦しめていた「教え」からの解放であったのではないかと思うのです。その教えとは、神の教えではありません。神の教えとは人々の心に安らぎを与え自由を与えるものであるからです。でも、その教えを用いて、神の名によって、人々の肩に背負いきれないほどの重荷を載せて自分では何一つ手伝おうともしない、正しいものだけが救われる「宗教システム」も言うべき教えがここにはあったのです。

人々が「ホサナ」とイエスさまに見ていたものはまさしく「神の国の到来」、正しいものだけが入れる神の国ではなく、すべての者が慰められる「神の約束の成就」でした。事実、イエスさまがエルサレムに入られて最初にしたのが「宮清め」であったことからもこれは明らかです。

ところが、そんなイエスさまを歓迎するどころか不都合と思い、十字架にかけて殺してしまったのは、エルサレムのトップ、神殿の祭司たちでした。彼らは神さまに仕える者たち、のはずでした。しかし、彼らはイエスさまがやって来られたことを喜ばなかったのです。

祭司たちの精神状態を考えてみました。まず、彼らはイエスさまがホザナと叫ばれていたことをどのように聞いていたのでしょうか。恐らくショックだったのではないかと思います。なんで彼らはイエスに助けを求めるのか。本来なら祭司こそ彼らを救い助けるべき存在じゃないのか。私たちはしっかり神殿を運営していたし民衆もそこに来て犠牲を献げ神さまに祈っていたじゃないか。それでよかったのではないのか。今行われていることもこれまで通りではないか。何もおかしくない。それでは、なぜ人々は自分たちではなくイエスに期待するのか。

ここに自分たちの思い込みと民衆の求めのギャップが生じます。「私たちは彼らの期待に応えられていなかったのか。いや、これまで何の問題も起こってこなかった。あいつさえ現れなければすべてはこれまで通りうまくいくはずなのに。」いろいろな感情が錯綜します。問題は、彼ら祭司がこれまで通りやっていくことが良いと思考停止していたことです。それによって民衆のニーズをうまく捉えることができませんでした。彼らは民衆の苦しみに気づかず、うまくやっていると思い込んでいた。それとは対照的にイエスさまの働きは声を聴くことから始まりました。一方的・制度的な教えではなく傾聴的・共感的な教えが心に響くのです。しかし、それは凝り固まった頭では変えることができません。

だから彼らはイエスさまを疎ましく思い、深夜薄暗い場所で捕え、裁きを行い、群衆を扇動して「十字架につけろ」と叫ばせたのです。ローマ総督ピラトに対しては暴動をチラつかせて脅迫し、公権力によって十字架で処刑させたのです。彼らは直接自らの手を汚すことはしません。何故ならば、自分たちの手の業だとわかると不都合であったからです。いや、民衆もこれがイエスに対する陰謀だとわかっていたのかもしれません。むしろ裁判が通常通りに行われないなど、見え見えであったと思います。誰もこれが正義だとは思っていない。でも、それをもし自分が告発したら、自分の身に降りかかってくる災いを思うと、勇気が持てない。見て見ぬふりをするしかない。十字架で死んだイエスを葬ったアリマタヤのヨセフなんかはその典型だと思います。これが受難週の闇の部分です。まさに人の罪だと言えるでしょう。それは誰もが保身に走ることによって起きるのです。

私たちは受難週に入ると毎年この出来事を読み返しますが、わたしは今回改めて読んでいてなんと悲しいことだろう、なんと不条理なことだろうと思いました。人々が救いを求めているのに、それに応えない宗教や政治の在り様、それどころか人々が救い主だと期待したイエスさまを抹殺するために暗躍する人々。或いは救い主を求めていながら、救い主を助ける勇気を持たない民衆。でも私も人のこと言えません。何故なら私自身も当事者の一人であることを感じさせられるからです。

これは当時の社会だけの問題ではありません。現代社会にも「保身のために正義を曲げる構造」があります。歴史を見直すとそれはいつの時代にも世界中のどこにでも起きています。およそ人間が造り出す社会には常に起こりうることであり、完全になくすことが難しいことなのかもしれません。でも、私たちは努力をしていくことができます。「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」(マタイ10:39)の言葉が響きます。そのために、今日もイエス・キリストの言葉に耳を傾けていきたいのです。私たちは、個人としてイエス・キリストを救い主と信じています。それは今までの生き方からイエス・キリストによって新しく変えられたということです。そうした私たちは、人を動かし、町を動かし、その構造を変えていくことが大切であるということ受け止めたいのです。

今日の聖書個所もそのような「町体制」への批判であり嘆きであります。イエスさまは数多くの奇跡を起こしました。病気の癒し、悪霊や差別など私たちの煩いとなるものからの解放、多くの奇跡が起こされ、そこで救いが起きました。人々はイエスさまを喜び信じました。でも、町は変わらなかったのです。個人は変わっても個人の集合である町は悔い改めなかった、立ち返らなかった。方向転換をして新しい歩みをしていくのには至らなかったのです。これがまさに「体制」というものです。「一部の人が救われてよかったね。でもそれは多くの人たちには関係ないでしょ。このままでいきましょ。」というものです。

イエスさまは、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムを批判しています。コラジンはここでしか登場しない町なのでどういう町かよくわかりません。ベトサイダ(ベッサイダ)もガリラヤ湖北岸の町で「漁師の町」という意味があります。ルカ福音書によれば、5000人の給食もこの町で行われました。実はこの町はローマ皇帝の娘の名前にちなんだ呼称がありましたので、もしかしてローマ的な影響が強く、ローマ皇帝を信奉する人たちが多かったということが考えられます。一方でカファルナウムの町はローマ以前に作られた町でありユダヤ的な町でした。彼らは、エルサレムから見れば「異邦人のガリラヤ」にすぎませんが、もしかして「ガリラヤの中では一番伝統的で正統的な地域」であると思っていた。それが「天にまで上げられる」という自意識になっていたのかもしれません。しかし、この町々は多くの奇跡が行われた場所であったにもかかわらず、悔い改めることをしませんでした。

この町々が悔い改めなかった具体的な理由についてはよくわかりません。でも対比されたティルスとシドンという町を考えてみれば、イエスさまが言う「悔い改め」がなんであったのか想像できます。ティルスとシドンは、ユダヤ的に見れば「異教徒の町」でした。もしイエスさまの言う「悔い改め」がイスラエルの神を信じて生きるということであれば、彼らこそ悔い改めが必要になります。でも、イエスさまは「同じ奇跡が彼らのところで起これば彼らは悔い改めたに違いない。」と言います。

わたしはこう思います。ティルスとシドンは港町で、様々な文化の流入がありました。これは恐らく一つの文化に固執せず、自分の見たものを信じる自由な素地があったということです。つまり、彼らの町々で奇跡が起こったとしたら、彼らはそれを色眼鏡なしに自分自身で判断し、むしろ自分の目に正しいと思ったことは受け入れたということなのではないでしょうか。先週の箇所でイエスさまがヨハネの弟子に語ったように、私たちは聞いたこと、見たことをしっかり受け止めることが必要なのです。

それに対して、イスラエルの町々は「神の国」という自負心があった。ベトサイダはローマの町という自意識があったのでしょうか。いずれにせよ、自分たちの目で見たものを信じることができず、むしろその他の教え、伝統、権力に寄りすがり、自分を守ることしかできませんでした。ここでいう悔い改めとは、「真実に対して目を開いて生きているか、それとも保身のために真実に目を伏せて生きているか」です。言い換えれば「自分自身の信仰にまっすぐに立っているか」ということです。確かに個人としては立ち返っても町はなかなか変わらないものです。人の集合体というものは同調することでより排他的になるからです。

でも聖書の中に町が悔い改める物語があります。ヨナ書でニネヴェの町で王を始めすべての人が悔い改めたそのとき、神の裁きは落ちませんでした。ヨナ自身は嫌がり逃げましたが、すべての者を愛する神の愛の現実を彼は目の当たりにさせられました。

私たちはどうでしょうか。この社会に対して私たちはしっかりと真理に立っているでしょうか。イエス・キリストの福音に生かされ、その喜びにしっかりと自分自身が根差しているでしょうか。あるときテレビで何故「日本は鎖国を続けたのか」という質問に3つの答えがありました。1、キリスト教を入れたくなかった。2、富の流出を嫌った。3、幕府体制を維持したかった。キリスト教が何故幕府体制に嫌われたかと言うと、日本社会が徹底的な身分制度でできていたことに対し、キリスト教は一人一人のいのちの尊厳を得させるものであったからです。都合の悪い福音を留めさせるために禁教されたのです。その密室社会の成れの果てが今の政治に直結していると思います。人の自由のいのちを阻害する力が今私たちの国でもミャンマーを始め世界でも起きています。

確かに真実に立ち声を上げると迫害を受けます。イエスさまも妬まれ殺されました。私たちも重荷を負い、疲れ果てることがあります。しかし、イエスさまはそんな私たちを休ませ、私たちに平安を賜るのです。神はイエスさまを復活へと導かれました。これは、あなたがたは間違っていないということです。神は私たちの労苦を知っておられ、報いてくださる。そして私たちに永遠の命を約束されるのです。

今日、これから賛美する応答讃美歌に「シオンの都よ」という歌詞があります。これはエルサレムの都のことですが、私たちは神の言葉であるイエス・キリストの国と受け止めて賛美をしていきましょう。