〇聖書個所 レビ記 19章33~34節

寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神主である。

 

〇宣教「共に地上を旅する寄留者として」

さきほどザウパンさんとモリンさんに転入の証しをしていただきましたが、おそらくみなさんはこのお二人を含むご家族がどのようにしてこの神戸教会に来るようになったのかという経緯をまだあまり詳しくはご存じないと思います。実は彼らがこの教会に来ることになってから既に3年が経つわけですが、コロナのこともありましたし、また言葉の問題もあってなかなかこれまで交わりをすることが難しかったのではないかと思います。しかし、今日はザウパンさんとモリンさんともに、この教会の会員になりたいと意思を表明してくださいました。そして私達はこの出会いが神によって与えられた出会いであることを受け止め、この方々と共に信仰生活をして行く決断を後ほどしていきたいと思います。私はこの宣教の中でこのお二人のこれまでの歩みについて私が知っている範囲ではありますが、そのことを共にお話ししたいと思います。今日は少し込み入った話も多くなりますのでパワーポイント使いながら皆さんにご紹介していきたいと思います。

まずザウパンさんとモリンさんが住んでおられた国はミャンマーという国です。かつてはビルマと呼ばれていました。この国は、単一民族国家ではなく多民族国家です。この右側の地図を見ていただくと、北の方からカチン州、シャン州、マンダレー州、ラカイン州など色々な名前がありますが、それが主要な民族の名前であります。中でも一番大きな勢力がビルマ族でミャンマーのおよそ6割の人口を占めますが、他に少数民族が130ほどあります。ちなみに、カチン民族は、ミャンマー全土の人口6000万人の内の1.5%、およそ90-100万人。人口の9割は仏教。カチンはキリスト教です。こうした諸民族の連合体が国家として成立しているわけであります。この国が独立したのが第二次世界大戦後1948年ですが、その頃からこの国の中心を占めていたのが、国軍でした。歴史の中で度々クーデターを起こしています。ところがその国軍とは一緒にならず自分たちで自主独立していきたいという少数民族のグループがあります。カチンもそのうちの一つですが、実はミャンマーは自治州の中で内戦状態がずっと続いているという状況がありました。

モリンさんは、このカチン州の州都であるミッチーナという所にお住まいでした。そしてザウパンさんは、シャン州のラーショという町にお住まいでした。その町の風景写真をお見せします。とても自然の豊かな、そして趣のある故郷であります。この二人は、それぞれ教会に通っておられました。これがザウパンさんが通っておられたラーショカチンバプテストチャーチです。そして次がモリンさんの通っておられたセントコロンバンズカテドラルです。実はこの教会はカトリック教会です。モリンさんはカチン族の中では珍しくカトリック教会に通う方でした。しかし二人が結婚することを通してモリンさんもバプテスト教会に来ることになりました。

二人が出会ったのは、マレーシア、クアラルンプールにあるミャンマーカチンバプテスト教会です。この教会は、クアラルンプールにある一つの中華系の教会の会堂を借りて礼拝が行われていました。ザウパンさんが2009年、モリンさんが2011年にそれぞれ亡命をされて、マレーシアにやってきました。お二人はそれぞれ別々の時に難民になりましたが、そのきっかけは、国軍と少数民族の内戦により、ごく身近に身の危険を感じる出来事があったからです。例えばザウパンさんは田舎の村に田んぼのお手伝いに来ているときに、軍に田んぼを接収された上に危険な状態になったことで亡命されました。それ以前にも父親が国軍の焼き討ちに遭い殺され、二人いるお兄さんの一人は16歳の時に戦闘に巻き込まれ殺害されました。モリンさんも似た状況の中家族を置いて一人で亡命されています。

2011年と言えば、アウンサンスーチーが軟禁状態から解放され、ミャンマーの民主化が始まったころですが、実はそれで平和になったわけではなく、国の中ではやはり依然として内戦状態が続いていたそうです。これは私たちは一部ロヒンギャ難民の出来事を通して知っていますが、あまり報道されない現実なのだろうと思います。ザウパンさんとモリンさんはそれぞれご家族を国元において、エージェントに頼って亡命をなされました。モリンさんはタイ経由で何十時間も車に乗ってマレーシアに行きました。この間、行けるタイミングを見計らって行くという亡命を続ける中、本当に生きた心地がしなかったそうです。というのは、無国籍状態になりますので、信頼できるエージェントでなければ騙されて最悪、途中で殺されてしまう危険もあったからです。

でも二人はなんとかクアラルンプールに着きました。しかし、クアラルンプールでも彼らは落ち着くことができませんでした。というのは、マレーシアとミャンマーの隣国同士の国際情勢の悪化が懸念されたため、マレーシア政府は難民としては受け入れなかったからです。そして難民としてずっと時を過ごしておられたわけです。そこでセンサンちゃんとダンくんが生まれました。彼らは故郷の町に帰ったことがありませんし、帰れません。そして落ち着くところを願い求めてやっとやってきたのがこの日本、そして神戸の街でした。言い換えれば、ここで彼らはやっと息をつくことができ、その生活の保障、あるいはいてもいい場所を得たわけです。

日本にやってくるきっかけとなったのが、外務省が行っている第三国定住という制度でありました。実は、日本は今もそうですが、昔から基本的に難民を受け入れることに開かれていない国です。 2019年に難民申請をした人数10,375の内、44人、認定された率はなんと0.4%でした。日本で難民支援をしているグループが、最初に日本での難民申請希望者に言う言葉が、「他の国で受けたほうが良い」ということだそうです。愕然とします。日本のこの体制について、昔からUNHCR国連難民高等弁務官事務所から厳しく批判されています。しかしそのような中で、難民を受け入れる実績を作るための窓口となったのがこの「第三国定住制度」でした。元々この第三国定住という制度は、当事者の国と隣国では解決できない難民の問題を第三国が引き受けるということです。2010年度から毎年20-30名を受け入れるということで始まっています。ザウパンさんたちはこのグループのメンバーとして来日しました。

神戸教会に来るようになったきっかけについては、難民事業本部という外務省の難民支援事業を実際に行っている団体から、お話がありました。難民事業本部は、彼らの就労や行政面でのサポートをする。また地域のNPO法人が彼らの言語や文化などの教育を担う。しかし彼らの生活、あるいは信仰面でのフォローが必要だ。それをケアしなければやっていくことができない。彼らはバプテスト教会にルーツを持つ方々だから神戸バプテスト教会ができないかという声掛けでした。私は3年前に役員会でそのことを共有し、受け入れていこうと話し合いましたが、実際に今日教会員となるまで長い時間がかかってしまいました。この間、たびたび関わっては来ましたが、彼らに寂しい思い、あるいは孤立させてしまっていたことを深く反省しています。

実はラナンさんというもう一組のカチンのファミリーも同じグループでやってこられました。しかし彼らは今年の3月末に東京に引っ越して行かれました。実は東京にはカチン民族の方々がたくさんお住まいのエリアがあります。ラナンさんたちが東京に移った理由の一つは同じ民族の仲間がいる所に帰りたいという思いとそして子供たちにその民族教育を受けさせたいという願いからでした。おそらくザウパンさんたちの心の中にもそのような願いがあるのだと思います。でもザウパンさんたちはこの土地に残られるという決断をされています。しかし、だからこそ彼らは交わりと助けを求めています。

そのような中で、私たちはこの奇跡的な出会いが与えられていることを喜び、また神から与えられた一つの恵みとして受け止めたいと思います。実はカチン民族は、コミュニティの中心が教会であり、子どもが生まれた時も出生届を教会が発行するような交わりがあります。彼らは今長田区にお住まいですが、密な交わりを求めておられます。言葉もとても上手になられて、日常会話はほとんどOKです。みなさんの協力が必要です。どうぞよろしくお願いします。子どもたちも神戸に来た時はセンサンちゃんもまだ3歳、ダンくんはまだ1歳になっていない状況でした。先ほども申し上げましたが、彼らはご両親の故郷のカチン州に帰ったことはありません。それどころか、おじいちゃんおばあちゃんにも直接会ったことはありません。今でこそSNSで繋がっていますが、距離があります。彼らの故郷となる場所が今失われています。であれば私たちこそが彼らのホームになって行けるようなその関係に預かっていきたいと思うのです。

今日の宣教題は「共に地上を旅する寄留者として」と付けさせていただきました。恐らく、みなさん今日の聖書個所を読んだとき、この「寄留者」という言葉をザウパンさんとモリンさんに置き換えて考えられたかもしれません。そして牧師は彼らをこの教会に迎え入れてやっていこうというメッセージを語ろうとしていると思われたと思います。

実はわたしも最初はそのように考えていました。しかし、そもそもこの「寄留者」と言う言葉は「一時滞在者」を現わす言葉ですが、ザウパンさんたちはこの日本国の「永住許可」を受けていますので、これにあてはまりません。しかも、この聖書個所が語る神の思いを黙想するうちに、この神の教えが言おうとしていることは、寄留者を受け入れて仲良くやっていこうなどというそう単純なことではないと言うことに気付きました。そうではなく、彼らが寄留者となっている理由も含めて受け止めて、まさに自分自身の事柄として受け止めて、私たち自らが自分自身を分かち合い、或いは割かれて共に生きていくようにとの招きなのだと思います。それは何故かと言うと、私たちもまた神の約束の地を目指す寄留者であるからです。私たちは環境的には先祖伝来の土地に住んでいます。しかし、私たちの精神は、国籍は天に在り、神の御心を求めて生きる者、寄留者であるのです。私たちはカチン民族のために、またミャンマーのことも知り祈っていく関係に導かれているのです。

実は、今日のレビ記は聖書の文脈上で言うと、出エジプトの民がまだ約束の土地に辿り着く前に書かれている教えであります。つまり、「寄留者があなたの土地に住んでいるなら」と書かれていますが、あなたの土地というのはまだ存在していないわけです。もちろん、ここで言われている土地と言うのは、神がアブラハムに示されたカナンという約束の地を指しています。聖書学的に言うとレビ記は約束の地に入った後に成立したと考えられています。しかし、今日はここではあなたがたはそこにはまだ入っていない。むしろあなたがたもまた寄留者であります。その場合決定的に大切なことは、その約束の地に入る前に、その土地に向かっているあなたがたにこの神の言葉と神の伴いが与えられているということなのです。つまりここに神の国があるのです。私たちは神に見捨てられて寄留者になっているわけではないのです。しかし私たちには目指す場所があるのです。それは神が私たち生きとし生けるものをすべてそれぞれの形に創造されたように、すべての者の命が尊重され、共に生きていくことができる社会という約束の地を目指して歩み出していくということです。

「寄留」と言う言葉は、本来の居場所でない場所での短期滞在という意味ですが、それはある意味で本来いるべき場所からその反対語は自分の居場所となるところでの長期滞在、つまりその土地を所有することに繋がります。もし仮に私たちが私たちの約束の地を持っているとすると、恐らくそこでは神の支配ではなく、人の支配がはじまります。時としてそれは神の名を用いて人が支配することもあります。例えば、「ここはわたしの国なのだから、私のやり方に従えない人は出て行きなさい。」あるいは「違いを認めず、他の教えを受け入れず、自分たちの近しいグループのパラダイスを作る」ということになります。そして、まさに歴史が証明しているのは約束の土地に入ったイスラエルの人々はおもいのままにふるまい、神の御心に逆らい始めました。それは誰がこの土地の主人かということを私たちに考えさせます。同じことが私たちの国でもミャンマーでもまさに今も起こっています。

しかし、その土地が神の土地であり、私たちが寄留者であると考えると、私たちは共に神の恵みに生かされる存在になります。寄留者とは色々な出来事の中でその土地にいることができなくなった存在ですが、言い換えれば。新たな出会いに生かされている存在であります。私たちはその出会いの中に喜びを分かち合い、悲しみを分かち合い共に生きていく存在なのです。

イエス・キリストは言われました。「神の国は見える形では来ない。そこにある、あそこにあると言えるものではない。実に神の国はあなたがたのただ中にあるのだ。」この交わりの中に作られるものが神の国です。先ほども言いましたが、大切なのは約束の地に入ることではなく、そこに向かう歩みの中に神の伴いと神の言葉と恵みがあることなのです。まさにそこが私たちの居場所であり、すべての人が一人一人自分らしく生きていける場所であるということなのです。平和を祈りましょう。