〇聖書個所 テモテへの手紙Ⅱ 4章1~5節

「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」

〇宣教「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても。」

今日はこれまで読んできたマタイによる福音書の箇所を離れ、神戸バプテスト教会70周年とこれからの私たちの信仰生活のために改めて、この教会の初めの出来事を振り返っていきたいと思います。1950年8月4日、シェラー宣教師ご夫妻が神戸に来られた日に神戸バプテスト教会の福音宣教が始まりました。

皆さんの中にはシェラー先生と直接出会ってお話ししたことがある方もおられると思いますが、恐らく今礼拝に集っている多くの方は、お会いしたことがないと思います。残念ながら私もお会いしたことがありません。でも、色々な人から思い出を聞いたり、文章などを通してそのお人柄を知ったりすることができました。シェラー先生は、宣教師として1950年から1985年まで35年間この神戸教会を中心としてお働きになられました。今気づきましたが、70周年というのは、シェラー先生がおられた35年とその後の35年という節目なのですね。日本におけるキリスト教の歴史とも重ねられるかもしれません。福音宣教が花開いたのが最初の35年。その後の35年はキリスト教の福音が改めて吟味される時代だったように思います。そして今、わたしたちがコロナによって問われているのは、まさにこれからの新しい時代にどのように主を信じて生きていくか、どのように福音宣教していくかということなのかもしれません。そういう意味でも、この教会の最初の出来事、そこに込められた思いとはいったい何だったのかということを考えることは大切なことです。

実は私はこの教会の牧師として招聘されて早いもので7年目を迎えます。つまり神戸教会の歩みの10分の1を共に過ごさせていただいているわけですが、この間やはり私はこの神戸教会の存在意義とか、神がこれからこの教会に期待されている働きは何だろうかとか、私は何をするためにこの神戸教会に牧師として遣わされてきたのかとか祈り求めて参りました。そのようなとき、私はこの初めの出来事、この神戸教会に献げられてきた様々な方々の熱い祈りに思いを馳せるのです。

私はこれまでも礼拝の中で、たびたびシェラー先生が何故宣教師として神さまに身を捧げたのかをお話ししたことがありますが、それは、お話をするたびにキリストの福音がなんであるかを感じるからです。特に私の中で印象深くて励まされるエピソードがシェラー先生がウイリアム・ギャロット宣教師と出会ったときのお話です。後ほど詳しくお話ししますがギャロット先生は戦前から日本で活動された宣教師であり、西南学院大学の初代学長に選ばれた方です。

このギャロット先生が宣教師として持っていたアイデンティティと強烈な体験が、シェラー先生が宣教師となる神の招きに繋がっていたのです。では、そのアイデンティティと強烈な体験とはなんであったのか。私は今日まずギャロット先生の信仰姿勢をお話しし、シェラー先生が何を受け取り神戸に来たのかということに思いを馳せたいと思います。ですので、今日のメッセージは自分がその立場だったらどうするかということを考えながら聞いていただければ幸いです。

 

皆さんは宣教師というとどのようなイメージを持っておられるでしょうか?宣教師になりたいと持ったことのある方はおられますか?恐らく宣教師とは大変な仕事だなというイメージはあるのではないでしょうか。何故ならば、同じ神に仕える立場でも牧師と宣教師の違いは多くの場合、他国に出かけていってそこに住むということがまず考えられるからです。

現代であっても他国に住むということは、ある程度のリスクを抱えることになります。言語・文化・医療体制・子どもがいれば教育をどうするか、今回のような流行性の病気や災害があったときはどうするか等々、色々な心配をクリアしなければいけません。特にシェラー先生が来られた戦後間もない頃、そこまで飛行機が発達していたわけでもない時代、通信や交通を含め様々なストレスがあったことが考えられます。ちなみに日本バプテスト連盟が1965年にブラジルに戸上先生という宣教師を初めて派遣していますが、手紙でのやり取りに数カ月要することも頻繁にあったようです。つまりほとんど支援団体からのサポートも受けられないまま個人で対応していかざるをえない状況に置かれることがある。まさに命を削る仕事です。さらにもう少し時代をさかのぼれば、病気などにかかって亡くなっていく宣教師たちが多い時代もありました。非常にリスキーで大変な働きです。自分のことを考えてもなかなか踏み出せません。しかしながら宣教師たちは信仰をもって福音を宣べ伝えるために世界へ出かけていきました。その宣教師の一人が、ウイリアム・ギャロット宣教師でした。ギャロット先生が伝えたいと思っていた福音とは何だったのでしょうか。彼の歩みを見ていきましょう。

彼は1910年にアメリカのアーカンソー州に生まれました。幼い頃から神童と呼ばれ、15歳で大学に入学(飛び級したのでしょうか。)、19歳の時に優秀な成績で卒業を収めました。それから神学校に入学し、24歳の時に宣教師に任命されました。恐らく彼が日本に派遣されて来た理由は、最も難解とも言われる日本語をマスターできると期待されていたからでしょう。彼は2年間東京で日本語を学び、1936年、26歳で西南学院の教授となりました。1936年というのは2.26事件が起こった年でもあり、日本全国で軍部の力が増し、外国人への敵視が強まる時代でした。実はその頃、中国ではキリスト教のリバイバルが起きていたこともあり、数名の方から「あなたは中国のようなところで働いたほうがよいのではないか」と誘われたそうです。

確かに少しでも働きやすいところ、目に見えて結果の出しやすいところで働く方が楽だったと思います。ギャロット先生もこの問いに少なからず心が動いたようです。でも、改めて自らの使命を確認したようでこう言っています。「日本人は忠誠心を持っている。これがキリストのために自分の命を失っても構わないという信仰になったらどうだろうか。日本から偉大なキリスト教徒が出ているし、他にも出てくるに違いない。」この時代、日本でのキリスト教布教は困難を極めていたと思いますが、彼はキリスト教の福音が日本の人々に届くことを信じ、自分はその使命のために神に遣わされたことを確認したのでしょう。

1940年、日独伊三国同盟が成立し日米開戦が近づく中、アメリカ政府から「もう帰国しないと危険だ」と言われたギャロット先生は、妻と子を帰国船に載せ、自らは日本に残り、拘留所生活をすることになりました。
帰国しなかった理由について、彼は「ここが神がわたしに望まれたところだからだ」と言っています。抑留生活は大変だったと思われますが、彼は「抑留生活は、幸福に満ちていた時だった。人生で最高の経験の一つである。その最も重要な理由は、そこが神が望んでいた場所であったからだ。」と言いました。つまり、普通なら自分の自由が失われたり、迫害されたりすることは好ましいことではない。それは神の守りがないことだと考えてしまいますが、彼はそうではなかったのです。むしろそのような中でも神が共におられることを彼は喜びとしていたのです。信仰とは、まさに逆境のような時に強さを持つものであります。

もちろん、自分の思ったようにならないこともありました。ギャロット先生は、最後まで日本に残ろうことを切望しながらも最後の捕虜交換船で帰国を余儀なくされました。帰国後ある場所で行われた宣教師の帰国報告会で、中国を始めアジア各地に行っていた宣教師から日本軍への非難の声が挙げられました。その後登壇したギャロット先生は、日本を愛するがゆえに沈黙し涙され、何かを話そうとしても声にならなかったというお話があります。しかしながら、実は当時その帰国報告会にいた人の一人がシェラー先生でありました。恐らくシェラー先生は、そのギャロット先生の姿を見て日本への神の愛を感じ、その招きに応答したのです。

シェラー先生がもしこの帰国報告会でギャロット先生の姿を見なければ、宣教師になることはなかったのかもしれません。ましてや、日本という当時の敵国に宣教師としていきたいなんて誰が思うでしょうか。他の国の方が宣教しやすかったかもしれません。もしかして自分もギャロット先生のように抑留されることがあるかもしれない。家族と離れ離れになることだってあるかもしれないと思うと恐怖だったと思います。神さまに仕えるとはいっても、それが自分自身のためだけを考えるものであれば、その選び取りはできなかったのではないかと思います。

でも、シェラー先生は立ち尽くすだけしかできないギャロット先生の姿を見て、敵を愛するということの本当の意味、まさにイエス・キリストが十字架に引いて行かれる姿を思い起こすような状況の中で、神は日本人をも愛しているということを受け取ったのではないかと思うのです。イエス・キリストの言葉が自らに迫ってくる体験を経て、シェラー先生は35年もの間、まさに自分の人生の半生をかけてこの教会のために尽くされたのです。この情熱は、およそ尋常なものではないと思います。

でも、その情熱こそがイエス・キリストが私たちを愛し抜かれた思いであったに違いありません。自分の身を顧みずに宣教師たちを強く突き動かしたものは、このイエス・キリストの宣教の使命でありそれへの応答です。今日の聖書個所にもあります「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても励みなさい。」私たちであれば、「今は時代が悪いからもうちょっと後にしようとか、もう少し良くなってから伝道しよう」という風になってしまうのではないでしょうか。でも、そうではないのです。何故ならば、大変な時代という時には、必ずそこに救いを求めている人がいるからです。

聖書を見てみると、イエス・キリストがまず最初に福音を伝えていった人々は、まさに当時の社会の中で取り残されている人々でした。そしてイエス・キリストはその人たちが取り残される社会を作り出していた方々と対決していかれたのです。宣教師たちの存在と言うものも同じかしれません。言うなればそこにいる「異なる性質の者」として、その社会の中で助けを求めている人を助け、その人たちと共に生き、その構造を明らかにしていくことであるからです。福音とは言葉だけではなくこの世を変えていく力なのです。

宣教師というと、外国からの宗教を持ってくるという一方的なイメージもあるかもしれませんが、そういう意味で言うと、イエス・キリストがまさにその歩みの中で体現されていたように、生活の場の中で神の言葉によって生きることそのものであると思います。それは、私たち個々人を縛る様々な力からの解放の出来事であり、救いの出来事であり、自由を得させるものです。それが福音の力であるのです。それを発信していくのが、キリスト教会であり、そこに集う私たち一人一人であるのです。

福音GoodNewsとは神による喜びの訪れであり、神が私たちのいのちを全肯定し、苦しい時にも慰めを与え、つらいときにも支え励ましてくれるものであります。彼らがまさに「あなたが大切なのだ。神はあなたを愛している。」というシンプルな教えを伝えるためにやって来られたのは、まさに彼ら自身もまたそのようなシンプルな教えに生かされてきたからであるのでしょう。それは私たちもまた同様かもしれません。この喜びを知ってほしい。倒れそうなときに是非知ってほしい。神はあなたを愛している。まさにイエス・キリストが私たちをそのいのちの限り愛されたように、あなたは愛されている。独りではないということを伝えたいのです。何故ならば私たちもまた福音によって生かされている者たちであるからです。

神戸教会は、その福音宣教のために70年前にシェラー先生たちを通して始められたのです。その年のクリスマスには新神戸の近くにある神戸聖愛教会のバプテストリーをお借りして15名のバプテスマが行われ、1951年3月に神戸バプテスト教会が教会組織されました。教会とは、神に招かれた者たちの群れであり、私たちはそれぞれの時にそれぞれの出会いを通してこの教会に結び合わされました。これまでの70年で853人ほどの方がこの教会で信仰生活をされました。この教会の始まりにはそのような出会いがあったのです。

私たちはこれからの福音宣教を考える時、やはり神が私たちに隣人と共に生きていくように招かれていることを受け止めるのです。では、どのようにこの時代に生きていくのか。私たちは神の御言葉によって生かされているものとして神に属する者として生きていくのです。インマヌエル、神は私たちと共におられます。わたしたちが祈っていく時に、神にあって出来事が起きるのです。困難な時代にあっても福音は進んでいくのです。共に祈ること、神の御前に出ることから始めて参りましょう。今日はこれより主の晩餐式が行われます。主の裂かれた体と流された血を象徴するパンと杯を共に受け取り、主の福音を共に分かち合って参りましょう。